マイストーリー

誕生〜ピアノとの出会い

長崎県諫早市に生まれました。
父は無線通信士として外国航路を航海することもあり、ギターやウクレレが得意。
母はソプラノ歌手のような美しい声で鼻歌を口ずさみながら家事をこなし、兄はビートルズが好き。
そんな、音楽が自然に流れる家庭で育ちました。
ピアノとの出会いは5歳の頃。
社宅の同級生数人のお友達がオルガンやピアノをいつも楽しそうに弾く姿に心惹かれ、日に日に「私も習いたい」という気持ちが高まり、6歳で念願のピアノ教室通いが始まりました。

途中つまずき、退会のご挨拶へ

待ちに待ったピアノレッスン。新しく買ってもらったオルガンで毎日コツコツ、自分から進んで練習していました。
とにかく嬉しくて楽しくて幸せな時間でした。
けれど、バイエルの終盤に差しかかった頃、なかなか合格できず、気持ちが落ちてしまい、母と一緒に退会のご挨拶へ。
ところが翌週、そのことをすっかり忘れ、いつもの時間に教室へ。
先生は驚きながらも何事もなかったかのように、温かく迎えてくださり、私は楽しくレッスンを再開できました。
この出来事は、今の私の指導に大きな影響を与えています。
子どもたちが、無理なく進めるカリキュラム作り、つまずき始めた時の声かけの工夫、温かく見守ってくださった先生の姿など、しっかりと根付いています。

発表会でのハプニング

小学校2年生の発表会では、中田喜直作曲「いもむしとちょうちょ」「土人の踊り」の2曲を演奏予定でした。
ところが1曲目が終わるとお辞儀をして、そのままステージを降りてしまった私。
「もう1曲あるよ!」と先生の声に慌ててステージに戻り、無事に演奏できたことも、今となっては笑い話です。
この経験があったからこそ、舞台演奏前のリハーサルは本番の流れを体に染み込むように指導しています。
失敗は、成功のもとですね。

恵まれた家庭環境

子どもを信じ、子どもの自主性を大切にしていた両親から、「勉強しなさい」「練習しなさい」と言われた記憶はありません。代わりに、学校の掃除の時間は「心を込めてしっかりやりなさい」と言われていました。
幼少期は毎日、社宅の子どもたちと日が暮れるまで遊んでいました。
おままごと、ピアノの先生ごっこ、お手玉、おはじき、缶蹴りに鬼ごっこ…思いっきり遊んで発散し、やりたいことに没頭できる集中力や、ピアノに必要な指先や体幹や体全体の感覚など、自然に育っていった気がします。
楽器の面では、オルガンで鍵盤の数が足りなくなるとアップライトピアノを、短大進学時には表現の幅が全く違ってくるだろうからと、どこかで耳にしてきたようでグランドピアノを用意してくれた両親。
ピアノと同じくらい好きだったスポーツも「やりたいならやってごらん」と、陸上やバスケットにも取り組ませてくれました。
色々なことを楽しむこと、努力すること、両立させること、時間的なことでのバランスの取り方、心の持ち方を、いつも背中で教えてくれた両親に心から感謝しています。

高校・短大・ヤマハ音楽教室

高校では女声合唱、短大では県連盟での混声合唱の活動を通じて、フレーズの美しさ、ハーモニーの大切さを体得し、今のレッスンでもその経験が活かされています。
短大時代は気づけば1日5〜10時間も練習に打ち込む日々を送り、卒業演奏会では、バルトーク「ブルガリアのリズムによる6つの舞曲」を演奏しました。
ヤマハ音楽教室では、演奏・指導・エレクトーングレード取得、3歳児ランドからジュニア科、ピアノ科、グレード試験官まで幅広く担当。
師事してきた先生は10名以上。
その出会いは私の宝物です。

新コースのご案内

長年の講師生活、そして、2人の子育てや3人の孫が生まれてきてくれたことで、低年齢の子どもたちとママたちにも音楽で寄り添う大切さを感じ「2〜3歳のプレピアノコース」と「ベビーとママのプレミアムコース」を来春より開設予定です。

生徒達の成長

ピアノを通して、逞しく優しい親・友達・先生思いの、保育士・医師・大学助教授・公務員・会社員となり社会に貢献できる人へと成長しています。
幼少期からピアノを習うことの素晴らしさを日々感じています。

現在のわたし

生徒さんと孫たちの成長が何よりの楽しみです。
趣味は旅行・サウナ・パワーヨガ・軽い筋トレ・ウォーキングやジョギング(ホノルルマラソンやトライアスロン経験あり)など、元気にアクティブに過ごしています。
ピアノ歴50年以上、講師歴40年以上。現在は元プロスポーツ選手の夫と2人暮らし。
プロスポーツ選手とラガーマンの社会人2人の息子と可愛い孫が3人います。